幸せとは何か。という問いについて

あなたは今、幸せですか?

この問いに即答できる人は、おそらくこの記事は読んでいないのではないでしょうか。

「求めていた幸せを手に入れたのに、なんか幸せじゃない・・・」
「幸せになりたいけれど、どんな風になれば幸せなのかわからない・・」
「自分は今、幸せなのだろうか?」

などなど、幸せについて悩んでいる人はたくさんいます。
この記事では、私の捉える「幸せ」について書いてみました。
参考にしていただけると幸いです。

「幸せ」に決まった形はない

冒頭からズバリ断言しますが、「幸せ」というものに決まった形はありません。

一般的に言われる「幸せ」みたいなものは世の中にありますよね。

例えば、

・お金をたくさん持っていること
・自由であること
・愛し愛される関係の人がそばにいること
・たくさんの人から尊敬されること
・長生きすること

・・・

他にもたくさんありそうです。

どうでしょうか。

はたして、これらの状態は「幸せ」なのでしょうか。

あなたがこのような状態になったとすると、あなたは「幸せ」ですか?

・・・
・・・

私の答えは、
「これらの状態が「幸せ」な人もいれば、そうでない人もいる。」です。

「幸せとはこういうもの」という定義は、ただ多くの人がそう捉えているというだけのもの

「幸せ」について悩んでいる人は、「幸せ」という明確な状態が存在すると捉えています。

しかし、実は「幸せ」の形は人それぞれです。

なぜかというと、「幸せ」とはその人がその人の望む状態であることだからです。

先ほどの例で考えてみましょう。

お金をたくさん持っている状態でありたい人がお金をたくさん持っている状態になれば、それは「幸せ」です。
しかし、お金をたくさん持っている状態でありたいと思っていない人にとっては、いくらお金持ちになったところでそれはその人にとっての「幸せ」ではないのです。

ところが、「お金なんかいらないよ」という人はなかなかいないと思いませんか。
多くの人は「お金持ちでありたい」と望んでいるでしょう。

そのため、「お金持ち=幸せ」という一般論が出来上がり、世の中に浸透しているのです。

一般論の「幸せ」を求め続ける限り、あなたの「幸せ」は見つからない

一般論としての「幸せ」は、確かに多くの人が望んでいる形なのです。

私自身も例外でなく、お金は欲しいし、自由でありたいです。

しかし盲目的に、一般的に「幸せ」だとされている状態を求め続けていると、だんだんその状態はつらくなってきてしまうことも多くあります。

だってそれは、多数決の「幸せ」であって、あなたの「幸せ」ではないからです。

「幸せ」の形に正解も不正解もない

一般論としての「幸せ」の形は、多くの人にとっての常識となっています。

小説や映画、ドラマや漫画でも、「幸せ」とされる形は似通っています。

それこそ、お金・力(権力)・自由などを持っている状態でしょうか。

しかし、これらはただ、多くの人が「幸せ」はこんなような形なのだ。と認識しているよ。というだけの事であって、それが必ずすべての人に当てはまる「正解」ではありません。

ごくごく少数ではあっても、「お金はない方がよい」という人もいれば、「力は煩わしいのでいらない」という人もいるのです。

こういった「お金や力があまりない=幸せ」が不正解なのかというとそうではありません。

このような人は少数派で周りからは変人扱いされることはあるかもしれません。
しかし、その人の「幸せ」の概念が間違っているのかというと間違ってはいないのです。

ただ、少数派なだけ、理解してくれる人が少ないだけであって、不正解ではないのです。

あなたの「幸せ」はあなただけが知っている

「幸せ」とは何か。
それは、あなたの望む状態です。

あなたの「幸せ」はあなたにしかわかりません。

あなたが今、あなたの「幸せ」がなんなのかわからないとしても、他の誰かが知っているということはありません。
この先も、あなた以外の人に、あなたの「幸せ」はわかりません。

あなたの事をとことん理解している人にはもしかすると分かるのかもしれません。
しかし、たとえそのような人があなたの幸せを定義したとして、それが本当にあなたの幸せかどうか判断できるのはあなたしかいないのです。

世間の「幸せ」の形にどんなにそぐわなくても、あなた自身が感じる「幸せ」が、あなたにとっての「幸せ」なのです。